
赤レンガ上空の「落書き」
スペイン・バルセロナの街歩きといえば、アントニ・ガウディの建築。サグラダ・ファミリアをはじめ、カサ・バトリョ、カサ・ミラなど、一日中散策を楽しめるほど、印象的な建築が並んでいます。
しかし、バルセロナで強烈な存在感を放つ建物は、ガウディだけではありません。
私が旅行したとき、思わず足を止め、カメラを向けずにいられなかった建物がありました。
赤レンガの重厚な外観に、左右対称でどこか時代がかった宮殿風の建築。ところが、その屋根の上にはワイヤーのようなものがもじゃもじゃと入り組み、その中に椅子が絡め取られたような奇妙な造形物があります。
まるで、歴史的建造物の上空に「いたずら書き」をしたかのようです。
調和をわざとざわめかせたような建築に「なんだ、これは?」と思いながらシャッターを切ったものの、その時は結局、中には入らず通り過ぎてしまいました。
19世紀建築と現代アート
帰国してから調べてみると、その建物は「アントニ・タピエス美術館(Fundació Antoni Tàpies)」でした。
建物はもともと19世紀末に出版社として建てられたもので、後に改修され、既存の古い建築の上にタピエス自身の作品を載せた姿になりました。
屋根の上の作品は『Núvol i cadira(雲と椅子)』という名称です。
19世紀の歴史的建造物と現代アートがぶつかり合う緊張感こそが、あの時感じた違和感だったのです。
素材と痕跡、繰り返されるモチーフ
恥ずかしながら、私はそれまでアントニ・タピエスという名前を知りませんでした。
タピエスはバルセロナ生まれで、20世紀後半のスペイン、そしてカタルーニャを代表する現代美術の巨匠です。
彼の作品には絵や彫刻、版画などがありますが、常に立体的で、手触りのある素材感があります。
絵画であっても土や砂で荒らされた凹凸、傷や擦れた跡が施され、穴を穿ち、破れ、まるで生の「傷痕」のように提示されます。数字や十字などの謎めいた記号も、執拗に繰り返されます。
私が美術館の屋根の上で目撃した「椅子」もまた、彼が生涯にわたって繰り返し用いたモチーフの一つです。
『実践としての芸術』を読んでみる

さらに心に引っかかった私は、彼の著書『実践としての芸術』(水声社)を手に取りました。
タピエスがさまざまな媒体に発表したエッセイや論考をまとめた一冊。アートとは何か、前衛とは何かといった、タピエスの思考を覗くことができます。
テーマは多様です。硬直し、階層化したアート界やアカデミズムへの批判、そして翻って、禅や浮世絵、中国の文人画、東洋思想への強い関心などが語られます。
子ども向け雑誌への寄稿もあります。ここでは「見る」という行為の大切さを優しく語り、大人の言うことをそのまま受け取る前に、まず自分で見ることを勧めます。
作品に繰り返し現れるモチーフについて、「これは何を意味しているのか」という、ありがちな(そして面倒な)質問への「回答」、アーティストとお金の話。
若き日に、緊張しながらピカソと初対面した際のエピソードを語るエッセイなどもあります。
難解な作品をものする芸術家の本ですから、かなり身構えての読書でした。たしかに、当時の政治や美術界の文脈を知らなければ読み取れない部分も少なくはありません。
しかし、記述自体を自己韜晦のためにわざと難解にしている、という印象はなく、わかる部分だけでも強いインスピレーションを感じられる読書でした。
芸術と政治の関係
なかでも重要なテーマが、アートと政治との関わりです。
彼はフランコ独裁政権への抵抗やカタルーニャの権利主張にコミットし、社会的・政治的な発言も積極的に行いました。カタルーニャ国旗を用いた作品もあります。
本書でも「芸術家は政治的であってはならない」という安易な言葉を、彼は全面的に否定しています。
芸術家はつねに現実と向き合い、政治家とも科学者ともジャーナリストとも付き合うべきだと断言するのです。
アートは常に社会に向けたものであり、作品に対し何かを感じた人が呼応し、そして自らの表現を行う、高度なコミュニケーションといえるもの。
しかし他方で、政治的目的に従属し、そのためのプロパガンダとなれば、アートは消えてなくなります。
アーティスト的現実とは
タピエスは、どんな党派と関わろうと、創作には絶対的な自由があり、本質的に孤独な営みであると強調しています。
ある状況や環境に置かれ、知識を持ち、政治的な理想も持ち、逃げられない身体を持ち、理屈抜きで迫ってくる想念や手癖のようなものを持つ人間が、いまここで、限られた素材と形式を使って、何かを表現する。
それは、自分にしかできない、ごまかしのきかないもの。タピエスは、なかば逆説的に「アーティストは最も現実主義者」なのだといいます。
政治に関わりながら党派に取り込まれず、商品として取引されながら資本の論理に取り込まれない。
それは、奇跡のようであり、挑発的で、また危うい「実践」なのです。
タピエスは、ダダイスムやシュールレアリスム、ミロ、ピカソ、クレーへの言及では、形式を異にしながら、それぞれの状況で自らの表現形式を選び取ってきた先達に敬意を示しています。
「この現代に、芸術家であるとはどういうことか」「いま、ここで私が表現することにどんな意味があるのか」――。
そんな問いに悩み、壁にぶつかっているアーティストにも、多くの示唆を与えてくれるはずです。
建築との緊張関係を味わう
本書には建築に関する記述が少なく、むしろ実用主義的な「建築」というジャンルに対して警戒感を抱いているように読み取れます。
ガウディについても名前は出てきますが、言及はほとんどありません。
そのタピエスが、バルセロナで19世紀の重厚な出版社の屋根の上に自らの作品を載せ、建物の調和を揺さぶっている。
そう考えると、あの美術館の姿は、より刺激的です。
かつて私は、なんとなくカメラを向け通り過ぎてしまいました。
もし今度バルセロナを訪れる機会があれば、あのとき感じた「ざわめき」を、もう少し深く味わえる気がします。
バルセロナに赴く際は、ガウディの壮麗な世界だけでなく、ぜひアントニ・タピエス美術館にも足を運び、その建築と作品の数々をご覧になってください。
なおバルセロナの街中にはほかにも、タピエスがピカソに捧げたモニュメント「Homenatge a Picasso」(こちらも椅子がモチーフ)などの作品を見ることができます。
本を読んで予習していくのももちろん面白いのですが、何より大切なのは、タピエスが子どもたちに語りかけたように、自ら目を見開いて「見る」という体験でしょう。
皆様の心に、どんな「痕跡」が刻まれるでしょうか。

















