
パリ4区・マレ地区。
歴史的な建物や石畳の道が続く、時代を超えた美しさを持つ街。その中でも、ひときわ歴史を感じさせるたたずまいと、そしてひときわ大きく圧倒的な存在感を放つ建築があります。
高く細身のファサードには、コリント式の柱や彫像、繊細な装飾が隙間なく施され、中央には美しい円形時計。まるで宮殿のような風格を漂わせています。
これがサン=ポール・サン=ルイ教会(Église Saint-Paul-Saint-Louis)。
パリで本格的なイタリア・バロック様式を採用した最初期の建築であり、現在パリに現存する唯一のバロック教会です。
見事なファサードを持つ教会ですが、その真の面白さは横へ回り込んだときに見えてきます。側面から眺めると、意外なほど宮殿のような構造物が「薄い」のです。

そして裏側へ回ると、今度は正面からはまったく見えなかった大きなドームが姿を現します。

建物としての主役はこのドームであり、正面ファサードは、いわば巨大なスクリーン。見事に並ぶローマ式の柱の多くは建物を支える柱ではなく、壁から半分だけ突き出した飾り柱(付柱)として、建物に奥行きと壮麗さを与えています。
大胆な言い方をすれば、このファサードは「かきわり」です。劇場の舞台装置のように、人々を魅了し、感動を与えるために造られた意匠なのです。
見事なファサードに引き寄せられるように中へ入ると、いよいよドームが空間の中心として姿を現します。こちらも精巧な装飾や天井画が広がり、天窓から降り注ぐ柔らかな自然光が内部を包み込みます。

ゴシック教会の高い尖塔や細長い窓とは対照的に、丸みを帯びたアーチと大きなステンドグラスがふんだんに光を取り込み、白い壁がその光を反射します。薄暗く神秘的なゴシックとは異なり、空間全体には明るさと開放感、そして華やかさが満ちています。
サン=ポール・サン=ルイ教会は1627年から1641年にかけて、ルイ13世の命によりイエズス会の建築家たちによって築造されました。その手本となったのが、ローマのイエズス会本部教会「ジェズ教会」です。
16世紀以降、ヨーロッパでは宗教改革によってプロテスタントが勢力を拡大しました。
これに対抗したカトリック教会は、建築や絵画、彫刻を通して神の栄光や教会の権威を視覚的に伝えようとします。その中心を担ったのがイエズス会でした。
ゴシック建築が主流だったパリにおいて、サン=ポール・サン=ルイ教会の壮麗なファサードや内部装飾は、新しい時代を象徴する挑戦だったのです。
圧倒的な存在感を持つこの教会は、革命後の世俗化が進む時代にも、新たな歴史を重ねていきます。
まず目を引くのが、ファサード正面で輝く美しい時計です。
これはもともと隣接していた旧サン=ポール教会に設置されていましたが、フランス革命後の1802年に教会が解体された際、この場所へ移されました。
教会名が「サン=ポール・サン=ルイ」と二人の聖人の名を冠しているのも、二つの教区が統合されたためです。教会は名称だけでなく、その歴史や遺産までも取り込みながら現在の姿になりました。
革命後の19世紀、この教会はさらに芸術家たちによって彩られます。

『民衆を導く自由の女神』で知られるロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワが描いた《オリーブ園のキリスト》(1827年)もその一つです。
革命によって多くの美術品や宗教施設が失われる中、新たな教会美術の制作が若い芸術家たちに託され、その白羽の矢が立ったのが26歳のドラクロワでした。
つまり、この作品は後から持ち込まれたものではなく、もともとこの教会の空間のために制作された絵画です。若き日の「ロマン主義の巨匠」のドラマチックな絵はこの荘厳かつ華やかな空間にマッチしています。
ドラクロワ自身もこの作品を大変気に入っており、パリ万国博覧会の際には、自らの強い希望で一時的に教会から取り外し、会場で展示したという逸話も残っています。
文豪ヴィクトル・ユゴーとの縁もあります。代表作『レ・ミゼラブル』にもこの教会は登場し、娘レオポルディーヌの結婚式もここで執り行われました。さらにユゴーは、貝殻をかたどった聖水盤を教会へ寄贈しています。
バロック建築の粋を集めたファサードと内部空間は、多くの人々を魅了するだけでなく、時代ごとの芸術家たちもひきつけながら歴史を刻んできました。
そして約400年の時を経た今もなお、時代を超えて愛されるマレの街並みの中で、唯一無二の存在感と”誘因力”を放っているのです。
























ベルギー・ブリュッセル、「世界で一番美しい広場」ともいわれるグラン=プラスから路地へ一歩入ると、何やら不思議な人だかりの一角があります。